耕木杜…木を耕し杜(もり)に帰る  
 
はじめに


2000年に設立して以来、耕木杜は住む人の心にも体にも健康で安全な家をつくり続けてきました。
10年の時間を経て、我々は時代を超えて次世代に伝えていく事を考えています。
今、時代の流れを見てきて、建築の現場から「本来のものづくり」の精神はどんどんなくなってきてしまいました。
自然と人の健康を無視した新建材。
特別な技術は必要とせず、自分が何を作っているのかわからないまま、ただ組み立てていくような仕事・・・・・
このような環境の中で、家づくりを志す若い世代は一体何を目標に、どこを目指して進めばいいのでしょうか。

次世代に伝える事



建築は基本的に自由です。何をやってもいい。
だからこそ、何を重視し、どういう目的をもつかという大前提がとても大切です。
どういう技術をもって社会に対して何を作るのか―

我々が建てた建物は次の時代に残ります。
我々もそうだったように 受け継いだつくり手は それを見て研究し、再現する事も出来る。
考え方や技術の向上の為の大きな確かな情報、アドバイスとなります。
我々は、次の世代のお手本や普遍的な指針になるような物を残しておかなければなりません。

そして、時代を選べないちいさな子どもたちが良い家を受け継いでいく為にも、
つくりてが強い信念を持って仕事をするという事をみせていく事 これは我々大人の責任であり、
若い人たちの「ものをつくりたい」という純粋な気持ちも、大人の都合で矛盾させてはいけないと思います。

本来のものづくりの面白さは、自分の頭で一生懸命悩み考え、自分の手で作り、
初めて立体になった瞬間に感じた感動から生まれるものだと思います。

この過程を繰り返し積み重ねていけるような、真っ当な環境を作らなくてはなりません。
そして技術の基礎を身につける為に、今の時代では5年以上を継続して自己投資する時間が必要に思います。

建築に向き合うと見えてくるもの



技術を伝えるだけでは、建築の伝承にはならないと思っています。
今の建築では設計は設計士、施工は大工というように大半が分業化される様になりました。
しかし、本来建築は、全体のプランニングを大切に考えていくものだと思います。

建物だけが完成しても 建築が完成したわけでは有りません。建っただけでは裸の様なものです。 
道路からのアプローチをつくり、樹を植え、庭を整え、その中心に家がある。
家の中に入れる家具やあかりなどの素材や形のデザイン、絵をかざったり、器を選んだり。
それぞれが調和のとれた空間であること。
建物の外・内それぞれにあるものすべてが建築の一部だと思っています。

建築周辺のことまでしっかり向き合って勉強すると、空間の全体像が見えてきます。
そして、時代の流れと普遍的な考え方がわかり、今やれることがはっきりしてきます。
建築がより面白く、得意になります。
大工も建築にたずさわる者として技だけではなく、広い視野を持っていくべきだと思います。

バランスのいい建築空間



いい建築とは、暮らしにいい影響を与える空間だと思います。
そのためには、土地の性質、住む人のそこに暮らす意味など、暮らしの本質をくみ取ることが大切です。
つくり手の都合ではなく、住み手の側からのものづくりを心がけることです。

設計優先でもダメです。
日々を穏やかに暮らすために必要なものは日常生活+アルファーが丁度よく、過ぎてはいけない。
デザインを優先するあまり、哲学的に重い空間になってはいけません。
使う人が使いこなせるような、バランスのいい空間を作ることが大切です

耕木杜の建築では 建物のプロポーションは大きさや複雑な形を強調するのではなく
威圧感のない、ひかえ目で解りやすい形を心がけています。
建物の中も複雑にしない。照明器具なども形、配置 あかりの種類など必要なところに自然にあるように。
窓の大きさや切り取り方はに人間の心理に大きな影響を及ぼすところなので大変気を使います。
こうして建物全体を控えめながら 当たり前とは少し違う 長い間にも飽きのこないデザインを心掛けています。

色やディティールを抑えても、確かな素材を 確かな技術のあるつくり手が心をこめて
作ることで 素材は生かされ良い表情となります。
そうして作ったものが、結果的に耐久的にも長い間大切にされる存在となっていくと思います。

自然とのつながり、道具と技のつながり、妥協しない手仕事、人間の持っている感性、
それぞれのバランスがとれた時、矛盾のない「新しい建築」が生まれ、その家はそこで暮らす人たちにとって、
穏やかな暮らしの為の器によるのではないでしょうか。

これが次の世代に残したい大切なこと。

私たちの建築に感化されて、同じような志を持つ人たちの裾野が広がっていくことを願い、
今後のコラムを綴りたいと思います。

阿保昭則