耕木杜…木を耕し杜(もり)に帰る  
  近年のさまざまな建築を見ていると、建築に携わる人たちが、建築そのものに夢中になってしまって、
そこに暮らす「人」を忘れているのではないだろうかと疑問に思うことがよくあります。
どんな技術や知識よりもまずは「人」。
人を知ってこそ的を得た建築が生まれるのではないでしょうか。

人を観る



家のプランニングをはじめるにあたって、第一に考えるのは、
そこに住む人がどのような暮らしを求めているのか。
どんな趣味や感性の持ち主であるのか。
その人にとっての暮らしの根元のようなもの。
これをしっかり理解したうえで建築に結びつけて行きます。
時にはまだ本人の中に潜在していて気がついていないことも自分なりに感じたことから分析することもあります。
そして人は暮らしの中で成長していきますから,、
長く暮らしていく先でもしっくりとあきのこない家となるように建築を考えて行く。
「人を知る」事はとても重要で、
人を理解することが確かな信頼関係につながることは改めて言うまでもないことです。

私は中学を終えて小僧見習いとして大工の仕事をはじめたころ、
いえもっと小さい時から人間観察をずっとしてきました。
家づくりを依頼されて、プランニングから出来上がるまでの数ヶ月~数年の間というのは、いろんな事があります。
上手くいくことも、すれ違いそうになることもしばしば。
良い方向に行くように間に時間をあえて作ったりもします。
いろんな課題ができてやり取りをする中で作り手と住み手双方の「人」の、
上辺ではない根底にある性質のようなものがでてきてしまう、というところです。
初めて会ったときに受けた印象とは全く別の人格が現れたり 思っていた通りの人だったり― 
ただこれまで、様々な環境で仕事をする中で人間観察をしてきて、
人の趣味や感性・人格、人間模様のデータが、自分の中で大まかな分類に整理されていて、
その沢山の引き出しは建築のプランニングにとても役に立っています。

今でもなお、これまで経験したことのない感性の持ち主に出会うことがあります。
刺激的な出会いは、自分の視野を広げ、引き出しをより広く深くしてくれます。
人との出会いこそが何よりの財産だとつくづく思います。

声を聴く



プランニングで最も大切にしていることは、構想を線に落とす前に、じっくり住み手の声を聴くということ。
といっても、この時にしていることと言えば、世間話のような他愛もない会話。
お客さんが「この人、本当にプランニングしてくれるのだろうか。」と心配になるくらい、
建築とは全く関係ないように思われるようなことばかりです。
その中で何気なく

●どこで産まれ
●どのような環境で育って
●どんなことに興味を持って大人になったのか


というようなことを引きだしています。
自分自身の経験から、「人」の根本的な人格形成や人生の方向性は大抵、
子どもの頃、20代くらいまでの環境や出会った人から大きな影響を受けていると感じています。
もちろん、大人になってから積み上げていく出会いや経験によっても、
思考や興味も多岐に変化していくものですが、突き詰めて掘り下げていくと、
最も深くしみついているその人の本来の色は、子どものころの環境や経験によるところがとても大きい。
その人の価値観や人生観の根本もここにあります。

この、一見ではなかなか見えてこない核心部分をみつけられなければ、
この人に対してどのような家を作ればいいのかはわからないだろうと思います。
逆にいえば、核心から立ち上げることができれば、間違いなくブレることはありません。

さて皆さん、人の話を聴く際に最も注意していることは何ですか?

私にとっては、その人の「声」です。
人はどこかで読んだり聞き覚えたりしたことを話すときと、自分自身の言葉で本当に伝えたいことを話すときでは、
明らかに言葉の色が変わります。
表現が難しいのですが、声の強弱ともトーンとも違う、「声の色」を聴きわけています。

日常会話の中で、人は前の日に起きたことや、最近耳にした知識のことを話すことが多いものですが、
よく注意して聞いていると、そういった中にも、その人自身として存在する言葉や事柄を発見することがあります。
何気ない会話の中から、その人の核心に触れるようなものを見つけて拾っていくように、いつも心がけています。
また、私も真剣な話をするときは、どこかから借りてきた言葉ではなく、
自分の言葉で伝えるようにしています。
自分自身として話をする時、伝わる力がぐっと強くなると感じています。

人を知るために



勉強が苦手で、中学を出てすぐに小僧見習いになり、師匠もないまま一匹狼で生きてきた私が、
だれに教わったわけでもなく家のプランニングから建ち上がり、建築周辺までができるようになり、
社会の中でどうにかやれてきているのは、色々な仕事を「人」を基準に組み上げてきたからなのかもしれません。

その建築がどんなに芸術的な形であっても、使い手の感性に響くものでなければ的を得た建築とは言えません。
特に家には、住み手の「暮らし」というはっきりとした目的がある。
そのためにはやはり、そこに住む「人」を知ることが最も重要だと思います。

人を知ることは、自分とその人との感性のキャッチボールです。
自分自身の感性をいつも生き生きと活性させておくことも大切です。

そのためには、自分の能力にラインを引かないこと。
人は知らず知らずのうちに、自分がどのくらいのものなのかすぐに目安をつけてしまいがちですが、
おそらく、向上心を持ち成長し続けることに限界はないはずです。
ずっと上、ずっと先のことは見えないけれども、一つ先のステージへ上がれば、次が見えてくる。この繰り返しで、
自分では想像もつかなかった方向へも進んでいくことができるし、挑戦し続ける中でしか発見はないと思います。

本当に素晴らしい感性の持ち主が、必ずしも有名人や社会的に成功している人ではありません。
むしろ自分に与えられたチャンスがどのようなものかわからないまま、
世の中に踊らされて出ていかざるを得ない人のほうが多いでしょう。
本物はいつでも少し見えにくいところで輝きを放っているものです。

人を知ることは自分を知ることでもあります。
人の本質を捉え、素晴らしい感性と出会って自分自身の感性を磨いてゆく為にも、
「人」を見失わないものづくりをして行きましょう!

次回のコラムのテーマは
「安全にくらす」
家は人にとって安らぎであり安全な場所であるべきです。
今回の大きな震災で 家に限らず安全に暮らすことが一瞬で失われてしまいました。
今一度 大人子供に限らず 安心して暮らす事 そしてこれからを担う子供たちに
家が与える影響の事を話しておきたいと思います。

2011年7月1日
耕木杜代表 阿保昭則



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