耕木杜…木を耕し杜(もり)に帰る  
  度重なる大災害を経験し、わたしたちの暮らしが常に
様々な危険にさらされながら成り立っているということを様々な形で目の当たりにしました。
今こそ、本当の「安全」とは何かを見つめ直す時ではないでしょうか。

安全とは?
一言で「安全な暮らし」と言っても、はて、何を持って「安全」を語ればいいのでしょう。
現在の住宅建築では、「耐震」「免震」を合言葉に様々な取り組みが考えられ、関心は家の強度に集中しています。
もちろん丈夫な家は、生活に欠かせない重要な要素の一つではあるものの、
わたしは,、暮らしの安全を突き詰めると最も大切なのは「空気」だと考えるようになりました。
現代の家は 化学物質たっぷりの新建材で張り巡らされ、有機溶剤のペンキが塗りたくられ、
様々な有害物質が発生し、わたし達は知らず知らずのうちに汚染された空気の中での生活を強いられています。
私たちは生きている限り、24時間絶え間なく呼吸し続けなくてはなりません。
食物は仮に体に悪いものを食べても ある時期を過ぎれば排出することができますが、
空気は日々絶え間なく体の中を循環しつづけます。
そして、実は空気の汚染は体に最も強烈にダメージを残すことになるのです。
その最たるものが、化学物質過敏症(※)。
わたしもかつて 化学物質まみれの建築現場で 体をボロボロにした一人です。
(※何かの化学物質に大量にまたは繰り返しさらされた後に発症。発症者数は全国で100万人。
その予備軍はものすごい数に上ると考えられる。現代環境による疾患のひとつ。)


こういった現実は、今騒がれている放射能の問題にも匹敵する位重大で命に関わる程深刻です。
そして逃れられない大問題にもかかわらず、安全性の検証は後回し。
便利な暮らしのために化学物質を開発・利用していくことを優先し、有害であることすら認識されていない。
目に見えない空気については、建築法規的にもほとんど対策がとられていない、というのが現状です。


目に見えないという怖さ



私達は暮しの中で数えきれないほどの化学物質に囲まれて生活をしています。
家の建材だけではありません。生活用品から工業用品などが市場のあらゆるところに出回り、
もはや化学物質に触れない生活は不可能。これは地球の生態系の歴史上で初めての経験です。

そして非常に厄介なことに、空気は目に見えない。

わたしが実に不思議だなと思う光景があります。
―ある住宅街にでは、そこで暮らす人たちはいろんな形で体に安全な食材を選んで
健康的な営みを積極的に行っています。
けれども家を見ると、ハウスメーカーが建てた化学物質まみれの住宅に住んでいる―

目に見えないことに対して、我々がいかにものを感じていないかということの顕著な例ではないでしょうか。

例えば、ベニヤやペンキなどに含まれる化学物質は抜け切れるまでに20年はかかります。
家具に使われると、引き出しや扉の中など換気されないところには残り続けるのでさらに5~10年はかかる。
家の外壁をペンキで塗ったとして、5年10年するとまた塗り替えなくてはなりません。
ようやく室内の化学物質が半減したころに、
数日間密閉された空間の中でまた外から化学物質を塗り重ねることになります。

最近はシックハウスの問題などで、ホルムアルデヒドなどを含まない、
化学物質が比較的少ない製品も出回るようになりました。
しかし、たとえベニヤ一枚の化学物質が以前の半分になったとしても、2枚使えば同じ量。
つまり、前よりは少しだけまし、という話で発生していることに変わりない。

これはただ家の中だけで起きていることではありません。
その家の周辺にも化学物質を発生させています。
さらに言えば、ちょっと大きな住宅街なら常にどこかの家でペンキを塗り替えています。
つまり、24時間どこかで化学物質をたっぷり発生させ、
自分たちで汚染した空気の中で絶えず暮らしているわけです。

このような環境でごく普通に生活を営みながら、
多かれ少なからどんどん体に悪影響を与え続けているということを、作り手も住み手も全く認識していません。
おかしいとは思いませんか?

我々はつい「みんな同じことをしているのだから大丈夫」と安易に、
大事な判断を平均された社会の中で行ってしまいがちですが、自分はどう感じているのか、
何に疑問を持っているのか、どこに危険を察知しているのか、そういうことに対して一人ひとりがしっかり認識し、
アンテナを張り巡らせ、考え、行動することがとても大切です。
それが、安全に暮らすための第一歩です。

空気を汚さない空間



メーカーや専門家は暮らしの中の空気汚染(という表現を彼らは絶対しないと思いますが)に対して、
定期的な室内の換気あるいは空気清浄機などの利用まで勧めています。
しかし、そもそも24時間強制的に換気をしなければ暮らせないような家をつくっていることが
大きな間違いなのだと気がつくべきなのです。
わたし達が真剣に取り組まなければならないのは空気を汚さない空間を作ることだと思うのです。

植物は光合成をして常に新鮮な空気を作り出しています。
木や土など自然の中から生まれたクリーンで優秀な素材が手の届くところにあるにも関わらず、
それらを全く無視してなぜ、わざわざ危険で有害な化学物質たっぷりの工業製品を作り出し、
汚れた空気しか発しない家を建てるのでしょうか。

化学物質の発生しない素材を使い、中気密で自然に空気が出入りする空間、安全な家つくりのスタートラインです。

汚染された空気は、大人よりもより子どもたちの精神と肉体に対して、はるかに大きなダメージを与えます。
細胞がふえ活性化されぐんぐん成長する過程の子どもたちは、
日々大きなダメージと戦って育っていくことになるのです。
これは これからの未来へどんな影響を及ぼすことになるのか図りしれません。
子ども達にそんな試練を受けなければいけない義務はないはず。
子どもの環境は大人の責任です。かけがえのない未来へ、
大人の責任として健全な住宅をつくるということを、真剣に考え直していくべきです。

空気の安全を第一にとらえて健康的な暮らし考えた時、
作るべきではない家のほうが圧倒的に多い現実があります。
我々が取り組んでいる木造軸組在来工法のクリーンな呼吸をする空間づくりが他にもないわけではありません。
それぞれがそれなりの努力と取り組みをしているものの建築全体の1%にも満たないし、
こうすれば大丈夫という確固たる答えが出ているわけでもないのです。
作り手も住み手も、より多くの人が気付き、考え、動き始めることで価値観の転換と大きな流れにかえ、
次の世代につなげていかなければなりません。

私たちは、今回の震災で放射能という目に見えないものと戦う事を背負ってしましました。
ただ、言いかえれば、みんなで考えなければならない問題がおきたとも言えます。
そして、大人の責任として、放射能の問題と同じように安全な家で安全に暮らすということも考えながら
これからを進んでいかねばなりません。
経済、環境、さまざまな問題の狭間で、同志が増えることを願い、コラムを続けていこうと思います。

次回のテーマは未定です。
来月はお休みをします。

この1年コラムを通じて考えてきたことをゆっくり整理する時間としたいと思います。
又、これらの事について皆さんの考えを聞かせてください。
では次回まで、少しの休憩です。

2011年8月1日
耕木杜代表 阿保昭則