耕木杜…木を耕し杜(もり)に帰る  
 
明けましておめでとうございます。
2011年の初コラムは、耕木杜の社名にも込められた、家と木と土の関係についてのお話しから始めたいと思います。

雑木林の一軒家



私の理想は、なだらかに広がる雑木林の地べたに建つ一軒家です。
雑木林のある土地は、植物が長い年月をかけて作った、誰も悪さをしていない全く自然の土地。
雑木林の下には、木々が成長し、光合成し、秋に落葉して作られた腐葉土が堆積しています。
そこでは、実生の種が自力で発芽し、花が咲き、実が落ち、また芽吹き…
というサイクルが絶え間なく繰り返され、
生き生きとしたエネルギーに溢れています。

人間は地べたから派生した生き物です。
地べたは大地が何万年もかけて作り上げた「私のための布団」です。
一戸建てに住むということは、地べたに足を付けて日々の生活を送るということ。
私たちは大地の揺りかごの上で生かされていることに感謝し、自然のサイクルと一体となって、
ともに大地のバトンをつないで行かなくてはいけないと思います。

動植物の関係で人と木はとても相性がよく、生活の中に自然感があるのとないのとでは、
精神状態に大きな影響を及ぼすことは良く知られています。
しかし、現代生活の中で雑木林を見つけるのは非常に困難。
そこで大切なのが植栽です。
土地の自然を元に戻すために、そして、自分の環境を整えるためにも、家のそばに1本でもいい、
素性のいい木を植えて尊重し、いじけないように育てる。


木を植える



ひとくちに植栽といっても、何を植えてもいいというわけではありません。
木にも様々な相性があります。
暮らしの中で環境にいい素材を選ぶのと同じように、
自分達の暮らしに合った木を心地いいと感じる向きに植えることが大切です。
そして、一度植えたら人の都合でハサミを入れないという覚悟が必要です。
人の都合で切ったりすると、木の精神状態が壊れ、回りにいる人へ悪影響を及ぼします。

人が一方的に切り詰めない限り、雑木林のようにのびのびと成長し、
木の葉々は隣の木と会話をするようになります。
力強く頼りがいのある幹や、冬に枝先を繊細に見せる細い木など色々あると、より会話も弾みます。

また、植える木は成長して大きな木でなくてはいけないとバランスが取れないわけではありません。
たとえば百年単位以上で育った木は 魂が宿って重くなっています。
かえって若木のいいエネルギーを取り入れた方が これからの家の成長と共に育って良いと思います。


木とともに生きる



人も家も木も、手をかけ目をかけ時間をかけて育てるものです。
無理に補色したり、よそから古いモノを持ち込んだり、初めから○○風に仕立てる必要はありません。
日々常にきれいに掃除が施され、空気の流れが良く、手入れが行き届いた部屋にはいい気が流れます。
しつらえはその後の仕事です。

雑木林の中になくても、地べたに素直に素性よく植え育てた木は、雨の中で鮮やかな色彩を放ち、
太陽のもとで輝き、花咲き実がなり、落葉し、また新しい実生の種が芽吹きます。
そしてすぐそばで繰り返される大地の自然のサイクルの中で、
人の五感や感性は豊かに健全に育くまれてゆくのです。

人間が住む前の自然の地べたに、天然の資材で家を建て、植栽し、いいサイクルで浄化し、
次の自然へバトンを渡す。
これが木を耕し杜へ帰るという耕木杜の本来の目的です。

耕木杜代表 阿保昭則