親方 |
人って、自分がやっていることが正しいという前提がないと先へ進めない部分があるじゃない。
ずいぶん違う方向性のところからここへ来たということは、「何か違う」ということに気づくきっかけがあったんだよね? |
嶋田 |
私の場合は食ですね。
仕事に疲れて食べ物で体を癒やしているというサイクルが自己矛盾になっていて、その矛盾をなくすには同じように、体の喜ぶような建物に携わらなきゃいけないと思い始めて色々探しているうちに親方をみつけました。
体が喜ぶ設計ってなんだろうと考えている時に親方の本を読んで、、自分は素材のことも何も知らない。このままではだめな設計士になってしまうと思いました。
親方はよく
「地に足をつけて育ってないとなかなか感受性が豊かにならない」
といいますが、私はまさにマンション育ちで、自分の周りは新建材ばっかりだったので、子供の頃からの感性をいうよりは、エネルギーのある食べ物を口から入れて体が変わるという直接的なことで気づけたという感じがします。
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親方 |
自分の周りに適切な環境があれば必ず感性が育つというわけでもないんだよね、実は。かえって悪い環境だったから気づけることもあるし。
子供は親から与えられた環境の中で生きるしかない。自分では選べないから。
そういえば自分は小さい時からサマーハウスを作っていた。
小学校2.3年生頃かな。冬の薪にするための丸太が家の前に積んであったから、夏の暑い日にはその丸太と丸太の間の隙間に棒をさしこんでゴザをかけて、下にもゴザを敷いて、上にも日よけをかけたりして。そうするととても涼しい自分の居心地のいい空間が作れた。
家の中は暑いのに、ここには天然の木があって、日陰があって、木の間から風がほどよく通って・・・いつもどこに棒を差し込んだら一番の空間になるか考えていて、今思えば住宅に興味を持ったのはそこが始まりかな。
中学生になって家の中に自分の部屋を手に入れることができて、今度は部屋の改造計画を立てた。四畳半に押し入れがついた部屋。プランを立てるところまではよかったんだけど、いざ作る段階になって、材料をそろえるにはお金を出して買わなくてはいけないということに初めて気づいたんだよね(笑)それで計画は断念したんだけど、空間を追求する元になった時期。そして中学卒業して大工になった。
でも逆に、もっといい環境の中に暮らしていて、部屋にエアコンがあったりしたら、そんなことは考えなかったかも知れない。
きっかけは何であれ、自分で気づくというのが大事なことだね。
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久間 |
僕もずっと考えているんですね。
大学くらいなのか、いつからかわかならいですけど。
でも大学の時は自分の能力がまだついて来なくて、考えても全然うまくいかない。それが本当に自分のやりたいことなのかもよくわからない。
ただ周りと同じことをやるのはキライなので、常に周りをよく見て、誰もやってないとこをやろうとずっとしてきました。
フィンランドに行ったのもそういう部分が少しあります。
フィンランドでやっと自分で考えていることやっていることが一致し始めてきて。
フィンランド行って一年たったくらいから、大学院と同時進行で建築事務所にも入ったんですけど、本当は違う事務所に行きたかった。でもそこは小さな事務所で、誰も雇えないといわれてしまって。
大学の研究室の先生には金なんてもらわなくていいから好きなところに行かなきゃだめだよと言われたんですけど、親にこれ以上迷惑かけられないし、やりたくないことではなかったので、生活のために、雇ってくれるほうの事務所に入りまました。
大学院では全部自分で考えて自分でやり続けられるじゃないですか。でも仕事は自分で考えてやることだけでは成り立たないし、人の元で働くってことは誰かの考えをうけてそれの作業員になったりすることもあって。
大学院卒業して仕事だけになった時に、これは本当に自分のやりたいことなのか?と。
そもそも大学院でやっていたことと仕事は少しずれていたから、将来どうしようかなとずっと考えてはいました。
素材に興味があって、大学院の卒業作品では大きなレンガのブロックを使った組積造りの建築をしたりしました。ただひねくれ者だったので、その頃木が流行っていたのに木には手を出さなかった。みんなやってるから。
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(大笑)
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久間 |
僕は日本では出来ないことをと思って組積にずっと興味を持ってやっていました。
でもカンボジアに行って、地元の人や建築技術を使ってNPOと協力してどんな建築が出来るかという授業をやることがあって・・・
当時の自分は頭の中が組積になっていたので、レンガを積んで作ろうとしていました。カンボジアではコンクリートでフレーム作ってレンガを間にさして作っていたのでレンガは構造じゃないんですね。そうじゃなくてちゃんと組積でやろうと。でもそのときオーストリアから来ていた先生から、「レンガは焼くから環境破壊してるんだ。」と言われて、そのとき初めて知りました。
それから今度は生の焼いていない土に興味を持ち始めて、それで左官に興味がわいて、挾土秀平を調べたりして。
そのオーストリアの先生もバングラデッシュで泥と竹で建築を作ってたので、行くならそこかなと思っていた時に、竹中道具館の企画でフィンランドに来ていた親方に出会いました。
最初はあんまり話せなかったんですけど・・・
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親方
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「なんだ、田舎大工かぁ」って顔でみてたもんね(笑) |
久間 |
違いますよ!大工さんは怖いと思っていたんです。
でも話してみると何か面白い人なんだなって。
親方達の2回目のフィンランド訪問の時に本と雑誌をもらったのですぐ読んだら、
「ちょっととんでもない人だ」と思いました。
その時は運良くアアルトの建築も一緒に見て回ったんですが、もともと自分でも色々見て勉強してたいたものの、親方は全く違う視点で話をしていて、とても驚きました。なんだこりゃ!って。
「耕木杜にも遊びに来なよ」っていわれたので、年末すぐに遊びに来て、建てた家をあちこち見せてもらった、ある家の左官が秀平組だっていうからびっくりして。そんなこともあって、ここにいたら色々学べることがあるなと思い、その日のうちに、親方の運転する車の助手席で「耕木杜に入りたい」と伝えました。
日本の大学の研究室にいたときも結構自分たちで作っていたんですよ。
図面も自分たちで書いて、それとは別に住宅の確認申請とかも出したりして。
その時に図面は作る人のための情報だと気づいて、それから図面と作り手の関係をずっと考えていました。
フィンランドで仕事していたときは、そこの密度がやっぱり違っていて、工場で作っている既製品をどう使うかみたいな図面なのであまり面白くなくて。
耕木杜に来れば自分が考えていたことが実際できるんじゃないかというのもあって、他にもまだまだあるんですが、とにかく色々な要素が積み重なって耕木杜に来たいと思いました。
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親方 |
(竹中道具館の)赤尾さんは
「耕木杜に行って何すんの?」
って感じだったね(笑)
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久間 |
いや逆に
「おまえが行って何が出来るの?全然使い物にならないでしょ?」
って。館長は僕に凄く厳しいですよ。この間中国で一緒になった時も
「ちょっとは使えるようになった?」
って。
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(大笑)
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久間 |
ここには学びに来ているという思いが強いです。
親方がはよく僕は考えていることをあまり出さないっていいますが、まだわからない部分も多いから自分の中で熟成させてから発展させたいというのもあって。
でも親方によく「もっと出していいよ。」と言われるのは刺激にはなっています。実際どこまでできるのかはまだわからないけれど・・・
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親方 |
行儀正しいというか、この間のプランもすごく律儀にまとめてくるもんだから「こんなんじゃだめだ」って言ったの。「もっと大胆に、自分が建てたいと思うワクワクするようなプランをしたらいいんじゃないの。」って
そしたらすごく良くなって、結局それで決まって。
俺は自分が知らない間に人を萎縮させてしまう言葉を投げかけてるときがあるのかな。
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久間 |
僕が萎縮してたのは親方ではなくて、事務所の環境でした。
時間かけられないし、あまりやっているところも見せたくなかった。
そこは自分で反省してます。
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親方 |
やっぱりまずはやってみることだよね。
経験は一回結果を出してみないと次に働かない。
だから失敗しても最後までやりきって完結させるということを積んでいかないとスキルは上がらないよね。
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久間 |
だから自分が思い描いていたことを実際にやったという経験は凄く大きかったです。
学校の授業では、結局実際にはやらないじゃないですか。
だからなんとなくフワッとしたまま誰かに評価されたりされなかったりして、そのままやり続ける人もいれば他のやり方を試す人もいたり。
その期間が大学だと4年しかないし、大学院も日本だと2年。
それを僕はフィンランドで何年もできたのは大きかったです。
自分の中でどんどん考えて行く時間があった。
ピーター・ズント―とかジョン・カミナダとか自分の理想としていることを実際にやっている事務所に行くという手もあったんですけど・・・
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親方 |
久間さんが持ってきてくれた本を見て、建築家として初めてルドルフ・オルジァティは自分と同じようなことをやっていると思った。こんな人いるんだ!って。
立派な人つかまえて生意気な口きくけど、でも考え方が一緒。
日本語で書かれてないから文章は全然読めないけど、やっていることがすべて同じことなの。
普通だったら今回こんなデザインしたから次はこうとか色々試したくなるじゃない?でもそうじゃない。
人間が生涯暮らしを営んで行くという空間に、そんなに変わり映えってないはずなんだけど、建築家のエゴでどうしてもデザインをいじって試したくなる。
でも、あの人はもうそういうところは成熟していて、そんなの意味がないってわかっているんだよね。だからもうこれでいいんだっていう、彼の哲学が凄くしっかり輪郭をもって表現されているからすごいなと思って。
だからどのページの写真もぱっと見はそんなに変わり映えしない。でもよくみると完璧に作りきっているんだよ。
耕木杜の家も言ってしまえばどこにでもありそうなプロポーションじゃん。でもよく観ると素材感も空気感も全然違う。
ルドルフ・オルジァティの建築も見た目は変わらないんだけど、よく見ていくと凄く内容が深いというところに共感した。
みんな何かを変えようと思うとまず見た目を変えるよね。わかりやすいから。
そして作りたいカタチを作るために、まず見えないところの質を落とす。
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嶋田 |
そう!まさにそこなんですよ。
私もそういう経験をいっぱいしてきました。
でも耕木杜の建物は、わかりやすいところだと、押し入れの中にも天然の木を使う。
毎日使う布団が出し入れされる場所だから。
実はとても大切なところなのに、一番最初にコストダウンされてしまうことにずっと矛盾をかかえていました。
そして耕木杜がこういうことに手を抜かずできるのは、設計から施工までが同じところでやっているからじゃないかとも思いました。
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親方 |
いつの間にか設計者が偉くなってしまって、作る人たちのところに降りてきて話を聞くということができなくなったよね。
今は少し、現場が大事なんだという意識が戻ってきたようにも思うけどね。
でも未だに設計者と施工者が同じチームで一貫してやっているところって少ない。
クライアントも含めて設計・施工がいいチームで出来ると家づくりはもっと楽しくなるよね。
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嶋田 |
私は前職で設計と施工の微妙な関係の中でいつもジレンマを抱えていました。
作る人がいて初めて成り立つ仕事なのに。
大工さんも含めて、施工側の人たちとちゃんと信頼関係を築ける設計者になりたいです。
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親方 |
こうやって改めて話す機会があるのはいいね。
普段「どう思ってるの?」って聞いたって、いきなり答えられないだろうし。
やっぱり思いというのは大事で、その方向に行きたいと思えば、道が拓けていけるものだから。
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