耕木杜…木を耕し杜(もり)に帰る  

Vol.2 「アアルトの居場所」 〜表層からは見えづらい心理〜


久間

この間お客さんとお話していて、
フィンランドで親方と一緒にアアルトの事務所を訪ねたときのことを思い出したんですよ。

親方
アトリエに入っていくときに、この事務所でのアアルトのポジション、居場所はどこだったのかがものすごく気になったんだよね。
自分もなんでそう感じるのか不思議なんだけど。


久間

それは最初からそのこと考えていたんじゃなくて、
建物に入ってみてそう感じたという意味ですか?


親方
そう。玄関を入って、少し行くと左に階段があって、2階が所員さんのいる事務所になっているんだけど、玄関を入ったところで、アアルトはいつも事務所のどこにいたのかが気になり始めたんだよね。

いつも何処にいて、自分の城を見ていたんだろうって。
それは入り口から一番遠く、所員さんのデスクや、会議室のような個室の先の奥まった空間だったんだけど、所員さん達の場所からは少しカーブになっていてアアルトのいる場所は見えない。でもアアルトの席はみんなの様子が良くわかる場所だった。


そしてその場所は、なんでこうなったんだろう、空間がとても歪んでいると感じたんだよ。
アアルトはアトリエの中で食堂が一番好きだったみたいなんだけど、その食堂は半地下のようになっていて、ここもアアルトの居場所から見下ろせるようになっている。少し暗く湿っぽくて、ひっそりしすぎていて、自分的にはあまりいい雰囲気ではなかった。
何をどうしたかったのか。建築家なのに計画が詰め切れていない。
おそらく、施工側がどうにか収めてくれたんだろうというくらい収まりが悪かった。
いろんな疑問がアアルトの部屋と食堂を見て湧いてきたんだ。


ユバスキュラから出てきて首都ヘルシンキに来て建てたアアルトの自邸も、建築家の家というより、奥さんと二人で迷いながら、自分の家って作りづらいなと思いながらどうにかまとめたような感じで、アアルトが設計するならもっと何かできたんじゃないかという印象だった。


自邸の後にアトリエを作っているんだけど、もっと思いっきり自由に設計ができたはずなんじゃないかな・・・。
所員さん達の場所は、これなら気持ちよく仕事できるだろうなというくらい、すごくいい空間だった。
なのに自分の居場所は陰にこもっていて外に向けた晴れ晴れしさは全く無くて、暗く潜んでしまいそうな空間になっている。こんなところにいたら鬱になりそうな感じ。
もしかすると、幼少期の体験、具体的にはお母さんの愛情が足りなくて不安な気持ちが内面的に残っているんじゃないかなという気がした。
後でアアルト財団の人に聞いたら、小さいときに母親が亡くなった事がわかったんだ。

久間

親方の幼少期はどんな感じだったんですか?

親方
実は自分はマザコンなんだよ。子どもの頃は金魚の糞みたいにお袋が出掛ける時は用もないのについて行ってた。(笑)
大きくなってもお袋とはよく電話で話もしていて意識的に近い関係だったね。
姉が二人いるんだけど自分が一番愛情をもらっていたと思う。
でもめちゃめちゃ厳しい人で、褒められたことは一度もない。まあ褒められるようなこともしてないんだけど。笑)
自分が小さいときはとにかくしつけは厳しかった。
朝起きるとまずは玄関掃除。そうすると箒の使い方はそれじゃだめとか、ダメばっかり。
学校から帰ると、お米はこのくらい研いで、魚は下ごしらえしてすぐ焼ける状態にして、その後は算数の宿題をしてとか、夕方お袋が仕事から戻ってくるまでにしなければならないことが細かくメモされていて。上手にやっても褒められることはなくて、「とにかく人には迷惑かけるな」と言われていた。
小さい頃自分はいたずらが好きで人に怪我させたり迷惑をかけたりして、いつもお袋は謝りに行っていた。ただ自分では悪いことしているという意識が一切なくて、悪気はないのになんでみんなに批判されるんだろう、むしろみんなが間違っているんじゃないか。
その理由がわからないもんだから、どうしてなんだろう。いつも人の内面を探っている様な子供だったんだ。

もしかして自分の方が普通じゃないのかなと思ったのは小学3年生くらいの時。
漢字が全く覚えられない。前の日に居残させられてたっぷり練習したのに翌朝の書きとりで一個も書けない。なんでだろうって(笑)
それでいてみんなが解らない様な事はよく解って、でもみんなが解らないのが解らなくて。

山がとても好きで、山には妖精がいるって信じていた。
家にも山の中の様な庭を再現したくて、父親が出稼ぎにいっていていないもんだから、家の小さな池の魚をすくって水を抜いて、石を積んで木を植えて、水を入れ替えたりして自分の庭を作ることに夢中になっていた。
ある日、山奥に一人で釣りに行った時に美しい水の流れを見つけた。滝壺のところで石と、覆い被さった木の間を山水が流れていて。その情景を時間を忘れてずうっと眺めながら、
人間がつくったものなんて大したことない。自然界の方が圧倒的にすごい。自然が自分の教科書なんだと思い始めた。
そうすると学校で先生が教えることなんてあんまり信用しなくなって(笑)、先生は本当はどんなことを考えているんだろうとか、人間観察ばっかりするようになって(笑)
だから、はじめてアアルトのアトリエに行ったときも、目の前の表面的なものよりその先の作り手の内面、どうしてこうなってしまったのかを探ることになったわけ。


それとこれは大人になってからの話。
以前家族で偶然一泊した旅館は築1〜2年位の木造の2階建ての建物だったんだけど
一番上の大工さんは歳のわりに技術はそこそこ。次の大工さんの方が技術も感覚も優れていて、あとは近所の普通の大工さんと、若い弟子と4人で建てたんじゃないかと分析し、チェックアウトの時に聞いたら大体合っていた。みんな足跡を残しているからしっかり見ればわかるんだよ。
それぞれの柱の配置をみても、こいつは結構やるなとか、ここはもう少し技術があったらこうしたのにとか、どういう風に考えたのか頭の中が見えてくる。
そうすると人数とか能力とか経験値とかも見えてくる。

奈良の「削ろう会」本大会に参加した時に法隆寺の中を見る機会があって、みんな口々に素晴らしいと言うんだけど自分的には全然良くなかった。
職人がすごく萎縮して臆病に怖がりながら作っていた。上からの命令で指示通りに作った結果こうなったんだなという印象。歴史を尊重すればいいのかもしれないけれど、自分は大工だから、何でこういう風に作ったんだろうってそっちを見ちゃうんだよね
おそらく当時のこういう現場は権力の強さを見せびらかすものだから、職人なんて粗末な扱いをされて、沢山の犠牲の上に建っている。
だから自分的にはお寺やお城にもあまりいい印象は無いんだ。
熊本城が地震で大きな被害があった時もあまりがっかりしなかった。
もちろん歴史的な建築物としていろいろ調べたりするのは大切だけど、補強のためにボルトをいれたりいろんな都合で今の時代の物でがんじがらめになってる。
自然の力で壊れたのだからもういいだろうと。
人前でこんなこと言ったら石投げられるだろうけど、争いの中心になるような建物よりも、茅葺きの合掌造りの街並みを残す努力の方がはるかに素晴らしいと思っている。

最近自分はちょっと踏み込んで見過ぎる性質が強いんだと自覚する様になった。
梁一本見ても収まりはこれでよかったのか、どうすればこの場面では最適だったのか。
みんな足跡残してるから見ようとすれば見えてくる。内部まで探るか、表面しか見ないかだけの違いなんだ。

内部まで探ることは住宅設計でもとても重要で、特に今回はどういう家を建てるべきか、最初の発想をしっかり出来てるかどうかが失敗か成功かを大きく左右すると思っている。
住む人のことや建てる環境がわかれば難しくは無いんだよ。
家が建つ前にプランニングの段階で頭の中ではすでに全部建ち上がっていて、家のプロポーションとか、玄関のひさしの奥行きとか、扉を開けて家の中に入る瞬間や人の動きと視線まで。すべて図面上で再現出来るようになる。
図面の上で歩いていくと、VTRのように脳内でシミュレーションできている。
むしろ自分は作り手だからそれ以上に、ドアを開けたときのノブの感触とか重さとか、開けたときの室内の印象とか全部リアルに想像できちゃう。
そうやって自分の中で一度完成したところから逆算してものを作っているから、出来上がりがわかるというか、ブレない。

設計の打合せをする時はこれまでの生い立ちや他愛のない話を表情を見ながらゆっくりする様にしている。リラックスして話してもらった方が良いね。
集中できれば基本プランは1日あれば自分の中ではできてしまう。
その後にラフな平面・プロポーション・敷地の配置・植栽まで書いてもう1日位。
でも住む人が60年、80年と生涯亡くなるまで暮らす場所をそんな数日で作っていいものなのかって思うこともあるよ。もっと時間をかけるべきなのかなって(笑)
数年前たまたま依頼を受けて天皇皇后両陛下が座る椅子を作った時もスーッとプランが出てきて、すぐ図面を描いた。

住宅設計ではじっくり考えなきゃいけないところとそんなに考えなくてもいいところもある。実は。そこをみんなよく解ってなくて、最初から全部きっちり決めなきゃいけないっ
て思い込んでる。でも本当はもうここまで考えれば後はどっちでも良いというところが大体3割くらい出てくるから要所を押さえておけばあとは大丈夫なんだ。
なんでそうなのかというと、人の意識は色んな影響を受けて常に変わっていくから。
これは良い意味の成長で、人生による変化はこちらではというか、誰にもコントロール
できないよね。だからここまで作っておけば後は何とでもなる、ここが間違ってなければ後は大丈夫っていう余裕を残しておかないと、逆にとても暮らしが窮屈になってくる。
つまり空間は住まう人が使いこなせるように作っておくことがすごく大事で、建物の完成度を追求してもその人に合ってない家になってしまう事もあると覚えていた方が良い。
その人自身を探れなければ、本当の意味でその人に合ったものは作れないよね。

この間設計ミスだと言われて、キッチンと家事室をこっちの負担でお客さんの希望通りに直したことがあったんだけど・・・
自分は最初の設計ではそういう風にはしなかったんだけど、その後お客さんの要望を聞きすぎて変更していったところが結局ちぐはぐになってしまって、最終的にこっちの負担で直す事にした。自分の中ではお客さんの要望を聞いた結果としても、結果が良くなかったらお客さんに泣き寝入りさせたくないというのがある。そのお客さんも結果暮らし易くなって喜んでくれた。お客さんに我慢させるような家を作るべきじゃないと思った。
こっちの負担も大きかったけど、そういう事が起きた時にはどう対処するかそこが大事。
間違いを起こしたら全部ダメでは無くて、起こした後のフォローがどれだけ最善でできるかっていうこと。間違いも能力を与えてくれる要素のひとつでもあるよね。


久間

探るヒントって
どこに落ちているんでしょう。

親方
考えないとわからないと思うよね。でも考えすぎてもだめなんだろうとも思う。どうしてもすでに頭の中にあることで考えようとしてしまうから。探るというのは実は外のことで、よく観察することにあるのかもしれない。だから両方うまく見ていかなきゃいけないよね。内部と外部を。

久間

前に親方が、シナベニヤで収納家具を作ってって言われたときに自分は誰にでも応えられる訳じゃないと知ったという話がとても印象に残っています。

親方
あーそうそう。
20年前に会社を立ち上げた頃、自分は技術面ではどんな人にでも応えられるっていう自信があって、前の作業場でお世話になった人の親せきの家のリフォームを頼まれて、予算の都合もあってシナベニヤで収納家具を作ったんだけど、その直後に体調を崩してしまった。明らかにシナベニヤの成分によるものだった。
その時に、自分は何にでも応えちゃいけない。ダメなものはダメと伝えて本当に正しいと思う事をしていくべきだと。そう気がつくまでに、4,5年かかったんだけどね(笑)
それから自分の現場では手間はかかってもベニヤを排除し、家そのものの質を上げることを決めたんだ。
(つづく)